親も子も幸せに生きるための自己肯定感の育て方
あけましておめでとうございます。
ヒロタです。
2019年後半はなかなかブログ更新ができませんでしたが、新たに『子育てハッピーアドバイザー』資格を頂くことができました。
『子育てハッピーアドバイザー』とは、明橋大二先生の『子育てハッピーアドバイス』シリーズに書かれている自己肯定感の大切さや甘えの重要性などを地域で伝える人のこと。
私は、自己肯定感の低さに長年悩み、長い時間をかけて自分の自己肯定感を育て直してきました。
だからこそ、自己肯定感を子どものうちから育てることの大切さを身を持って知っています。
新年最初のこの記事では、親子で幸せに生きるための「自己肯定感」の育て方について書きます。
【こんな人におすすめの記事です】
☑そもそも「自己肯定感」とは何か?よくわからない。
☑褒めて育てているつもりなのに「自己肯定感」が子どもに育っていないように感じる。
☑子どもを受け入れて認めたいのになかなか思うようにいかない。
☑親である自分自身、「自己肯定感が低い」
そもそも「自己肯定感」とは?
「自己肯定感」は、すべての土台
「自己肯定感」という言葉をあちこちで聞くようになりました。
でも、人によって「自己肯定感」の定義はずいぶん違うな、と私は感じています。
ここでお話しする「自己肯定感」とは、何が出来ても出来なくても、私は生きてていい。大切な存在だ。と思える気持ちのこと。
自己肯定感は、命の価値に対する自信です。
能力に対する自信ではありません。
○○が出来る、で、能力に対する「自信」は得られます。
その「自信」を「自己肯定感」だと捉えている人は少なくないと感じます。
でも、いまこの記事で話題にしている自己肯定感は、その前段階にあるもののことです。
自己肯定感を育てるために褒めて育てましょう、得意なことを見つけて伸ばしましょう、などと言われていますが、たとえ何が出来なくても自分は存在してOKと思える気持ちがすべての土台=自己肯定感です。
ここを理解せずに、「褒め育て」を一生懸命やっても幸せに生きていくための自己肯定感は育ちません。
勉強ができるいい子だった私の自己肯定感が低かった理由
私自身のことを例に挙げると、私は子どもの頃、勉強が出来る優等生タイプでした。
無理に勉強させられていた訳でもありません。
幼いころから読書が大好きな本の虫で、学ぶことが好きな子どもでした。
特に国語が得意でテストで満点を取ることも珍しくありませんでした。(ちなみに小6の時の私の成績は国語・算数・理科・社会が5段階評価ですべて5でした。)
字を書くのが得意だったので、書道ではいつもクラスの代表に選ばれて市の展覧会で良い賞をもらったこともあります。
得意なことを伸ばすことで自己肯定感が高まるならば、私の自己肯定感はもっと高くてもいいはずでした。
褒められる機会も、他の子に比べて多かったと思います。
でも、実際は全くそうなりませんでした。
それどころか、低年齢の頃にヘタに成績優秀だったことで、出来て当たり前=常に人より出来ないとダメだという意識が私の中に強くなってしまいました。
もう、子どもの頃の成績なんて全く関係ない大人になってからも、この意識が私を苦しめました。
最初にも書いたように、何が出来ても出来なくても自分の存在は価値があり、OK。これが自己肯定感です。
この土台が出来てないのに、「○○ができるという自信」を積み重ねても、「○○ができていればOK」という条件付きの自己肯定しか得られません。
裏を返せば、「○○ができなくなったら、自己肯定できなくなる」という事です。
この条件付きの自己肯定しか出来ていなかった私は、常に自分自身に焦りを覚えるようになりました。(「人より出来ない部分」なんて誰にでもたくさんありますから。)
親は私がいい成績を取ると褒めてはくれました。
でもそれだけでなく、必ず、次への期待がありました。
98点なら、次は満点を。
満点なら、次も満点を。と言う風に。
こういう「褒め」は、相手を認めていることにはなりません。
さらに道徳的にも高いレベルで「いい人間」であることをいつも求められていました。人を羨んだり悪く言ったりすると、常に厳しくたしなめられて、「そんな風に思ってはいけない。そんな風に思うあなたがおかしい。」と言われました。
ネガティブな感情を否定され続けたことで、悪い感情が心に浮かぶ自分は、ひどいダメな人間なんだ、と大人になるまで私は感じ続けることになりました。
ずっと後になるまで、誰の心にも意地悪だったり嫌な感情があって当たり前だ、ということもわからないくらいでした。
30歳を過ぎて交流分析という心理学に出会うまで、「怒り」の感情を持つことさえ自分に許せなかったのです。
でも怒りを全く感じずに生きている人なんていません。
それは人間としての本能的な感情だからです。
(このことは、こちらの記事で書いています。もしあなたが怒りの感情を持つ自分に罪悪感があるなら、読んでみてください。)
自然に湧いてくる、あって当たり前の感情すら持つことを認められなかったら、自分は自分であっていいという自己肯定感が育つはずもありません。
自己肯定感の育ち方
良い所だけでなく、悪い所も受け入れられて育つのが「自己肯定感」
良い所を伸ばしましょう、褒めましょう、ということは、今では当たり前に言われるようになっています。
(それを子どもに関わる人たちすべてが実践できているかは別として。)
でも、悪い所もひっくるめてまるごと自分の存在を受け入れられてはじめて育つのが自己肯定感です。
出来ない事もある。
意地悪な気持ちになることだってある。
怠け心だってある。
そんな自分でも愛されている。
居ていい。
そうやって自分の存在を肯定できる土台があったらそれだけで幸せですよね。
反対にその安心がなかったら、どんなにすごいことが出来たとしても、社会的に成功したとしても、本当に心から満たされることはないんじゃないか?と思います。
悪い所を受け入れていいの?
良い所を褒める、伸ばす、と言われたら「なるほどそうだな」と感じても、同時に「悪い所は正さないといけないんじゃないか?」と、思う人は多いでしょう。
それが親の役目だとも思いがちです。
世の中に出たら甘いことばっかりじゃないんだから、厳しくするのも愛情だ。
今、親になっている人自身が、そういう考え方の基に育ってきている人も多いと思います。
でも、世の中厳しいからこそ、「○○が出来ないとダメな社会」に出ていくからこそ、しっかりした心の土台がないとつぶれてしまうんです。
優しくしてくれる他人ばかりじゃないからこそ、心の土台である自己肯定感を育てられるのは親(またはその役割を担う人)なんだと思うんです。
他人なのに、無条件で自分を肯定してくれる人なんて、そうそう見つかるものではありません。
だから、親にしか出来ないことこそが親の役割なんじゃないか?と私は考えています。
自己肯定感が育てば、意欲は勝手に湧いてくる
悪いところを受け入れたら、子どもはそれでいいと思って楽な方に流れてしまう…と不安になる人も多いかもしれません。でも、本当に愛されて安心感がしっかり育てば、他者のことも大切にできるし、好奇心や学びたい気持ちも発達年齢に応じて自然と芽生えてくるはず。
子どもの育つ力を理解してその「育ち」を支援する「子育ち支援士養成講座」を受けた時のことです。講師である発達心理学専門の大学教授の先生から教わったのは、子どもには本能的に備わっている力があるということでした。
その本能的に備わっている力とは、「他者とやり取りする力」と「そのやり取りの中から学び取る力」。
そして、その力を発揮するためには、心の「安心基地」がしっかり出来ていることが必須だそう。
愛着とは?
この安心基地のことを「愛着」と呼びますが、愛着がしっかりしている人は、ちょっとやそっとのことでは揺らがない自己肯定感があります。
愛着と一緒に築かれるのが自己肯定感とも言えます。
つまり、お母さんとしっかり絆が作れたら、自己肯定感も育つし、そうすると他者と関わりたい意欲や学ぶ力も自然に発揮される、ということ。
土台が出来ていないのに、一生懸命お友だちと仲良くさせようとしたり勉強させようとしたりしても、上手くいかないのが当たり前なんです。
私は、子どもの発達の仕組みを知って、育児の焦りや不安がかなり減りました。
今、我が子に必要なことや自分達親子に必要なことがわかって、周りや情報に流されないでいられるようになったからです。
ただ、知識を得てもどうしても子どもにダメ出ししたくなる自分も、心の奥底にいました。
それは、我が子を自分と同一視しすぎていたからだと、その後気が付きます。
我が子でも、自分とは違う人格を持ったひとりの人
誰かのことを受け入れるというのは、もちろん簡単なことではありません。それが、わが子だったとしても。
特に、親自身が自己肯定できていなくて、さらに子どもを自分と同一視していると、とても難しいです。
私自身が少し前までそうでした。
私自身が自己肯定感がとても低かったことは、最初に書きました。
そして私は、自分の悪い部分が子どもに似たら嫌だと思っていました。さらに、子どもがちゃんと出来ない事柄があると自分がちゃんと育ててないからだと責められる気がしていました。
だから子育てが辛かったし、「子どもの良いところも悪いところも受け入れる」ことは、なかなか出来ませんでした。
でも、わが子は半分自分の遺伝子を受け継いで生まれてきたにしろ、自分とは別の人格を持ったひとりの人だと考えるようになって、意識が変わってきました。
一歩距離を置くと、相手を尊重しやすくなります。
「私はこう感じるけど、あなたはそう感じるんだね」と、「違い」を否定するのではなく、事実としてまずは受け止めることが出来るようになりました。
違う人間なんだから、違う思いがあって、ものごとをみる視点も感じ方もやり方も違う。
自分とわが子を同一視していると、自分にとって悪いと感じられる子どもの言動を受け入れることは難しくなります。
良いとか悪いとかの前に、自分とは違う、ひとまず捉える。
そうすることで、いきなり感情的に否定する事は減っていき、違いに戸惑うことはあっても、怒ることは減っていきます。それまで頭にきていた子どもの主張を、面白い視点だなぁ~と感じることも増えてきました。
大人の事情として困ることや社会のルールに反することは、わかりやすく説明します。
私が嫌だと感じることは、「〇〇な理由で、私は嫌だ」と話します。
もちろんすぐに上手くいくことばかりではありません。でも、こちらが頭ごなしに言うことを聞かせようとしていた時よりもずっとスムーズに運ぶことが増えてきました。
裁かれない関係の中に、幸せに生きるための自己肯定感は育つ
そもそも、わかりやすくこの記事で「良いところ」「悪いところ」と書いていますが、その「良い・悪い」だって、私の主観です。そのジャッジが正しいかどうかなんて誰にもわかりません。
親が「良かれと思って」したことが、全然子どもの幸せにつながらなかったということもたくさんあります。(私自身がそうだったように。)
特に大きく社会が変わっていく今、どんな才能や性質が、その子にとってプラスになるか誰にもわからないですよね。
我が子だけれど、自分とは違う人格を持ったひとりの人。
そして私の役割は、この子をジャッジしたり私が思う良い方向に導いたりすることじゃない。
この子が自分のありのままの存在価値を肯定できるように、そして一緒に幸せに生きていけるように自分も子どもも大切にすることだ。
私は、そんな風に考えるようになりました。
そして今、ジャッジし合うのではなく、愛情を伝え合って一緒に暮らしていくと、親子ともに自己肯定感が高まるのを、実感する日々です。
大人の自己肯定感の育て直し方
自己肯定感が低かった私は、心について学び、子どもの発達を学ぶ中で、自分自身の育ちに足りなかったことを理解しながら、自分の自己肯定を育て直しています。
今は、自分を大切に感じられるし、嫌な事をされたら素直に腹を立てられるし(自己肯定感が低すぎると、嫌なことをされても自分が悪いからしょうがないと思ってしまい、怒ることができません。)子どものありのままをずいぶん受け入れられるようになってきました。
自分なんかいなくていい存在だ、なんて感じることもありません。
だから、大人になってからでも自己肯定感を育て直すことは可能だと実感しています。長い時間はかかりますが。
自己肯定感が低い人は、まず、子どもの頃に「愛着」がしっかり築かれてない場合が多いと思います。私も愛着について知って、それが自分に足りないとわかったところからがスタートでした。
上手く築けなかった愛着を、自分の中に築き直すことがとても大切です。
もしもこれを読んでいるあなたが、「自分は自己肯定感が低くて、自分を認めたり、安心して人と付き合うのが難しい」と感じているなら、愛着について是非学んでみてください。
自己肯定感が低くて生きづらさを抱えている人にとって育児は大きな試練です。でも、私にとって子どもを育てる事は、自分を育て直す大きなきっかけになりました。まさに育児は育自、を実感しています。
どうか、子育てを通してより幸せになるお母さんが一人でも増えますように。
愛着についておすすめなのはこの本です↓
子どもと愛着を築くためにも、自分自身の愛着を築き直すヒントも得られると思います。