登園しぶりの年長の息子の気持ちにわたしが寄り添えた理由
こんにちは。ヒロタです。
私が息子が年長にあがる春に、本人の意思で休園を決めた時、他のお母さん達から、『えらいね』『よく気持ちに寄り添ってるね』などの暖かい声をかけてもらいました。
でも私が決められたのは、私が特別えらいお母さんだったからでも、強いお母さんだったからでもありません。
ただ、私は色んなことを学んだし、色んな体験をしている人と交流する機会があった。
そして、自分がとらわれていたことを手放せたから、息子の気持ちに沿った選択をすることができました。
わたしは『学ぶ』ことが好きですが、それは、知らないことを知ると、新しい世界がひらけるから。
知らなかった時とは、同じ出来事でも捉え方が変わって、気持ちも自由になることが多いからです。
学ぶ、交流する、自分と向き合う。
この過程で感じたこと、考えたことを今日は書きます。
子どもの気持ちに寄り添いたいんだけれど、将来への不安や、焦りなどで上手く出来ない人の参考になれば嬉しいです。
登園しぶり・私の体験
多様な選択肢を『知った』から、不安を手放せた
私には、年長の息子がいます。
年中の後半からのいきしぶりを経て、年長にあがった春から休園して家で過ごしています。
一般的には、就学準備に入る年長からの休園には、不安を感じる保護者の方も少なくないかもしれません。
それはきっと、そのまま小学校にも通えなくなるんじゃないか?という心配があるからだと思います。
私も最初は『この子は、小学校に適応できるだろうか?』という不安感を持っていました。だからこそ不登校に関する情報を色々調べたり、体験談を聞いたりしました。
実際にホームスクールで育っているお子さんの話を聞いたり、小中高と一切勉強しなくても現役で大学に入学し卒業した人がいることを知ったり、教育に関する法律について知ったり。
『知った』ことで、漠然とした『これからへの不安』を手放すことが出来ました。
そして『もしも小学校一年生から通えなかったとしてもそれで人生がダメになる訳ではないし、色んな選択肢がある』と思えたから、『いま』の子どもの気持ちに寄りそうことができました。
『幼稚園は遊ぶところだから楽しいけど、小学校は勉強だから大変だ』というのも、すべての子どもに当てはまる訳ではない、『小学校の方が楽しい子も居る』ということもわかりました。
あの時、知っていたら…と後悔しないために
例えば、小中学校の【義務教育】は【子どもが学校に行く義務】だと思い込んでいて、
学校に行かないと将来がダメになる、と思っていた場合。
【義務教育】は、【親が普通教育を受けさせる義務】だと知っていて、
それは必ずしも【学校に通う義務】ではないと知っていて、
家庭学習をするためのツールの存在を知っていて、
たとえ教科書通りの勉強をしなかったとしても色んな学びの形があると知っていて、
色んな道をたどってちゃんと大人になっている人がたくさんいる、と知っている場合。
『知っている』のと『知らない』では、目の前で起こっていることへの受け止め方が、まったく違ってきます。
『焦り』や『不安』の根っこにあるのは、『縛り』
園で集団に上手く馴染めない我が子をみた時に親が持つ『焦り』は、他の子と違うことに対する不安もあると思いますが、その先にある【小学校に入ってついていけるの?】という不安も大きいと思います。
【小学校に6歳で入ることに決まっている】ということが、親の、子どもに対する感情や行動を左右していることに気が付いた時、私はハッとしました。
もしも、小学校への入学時期が、その子の性格や発達具合によって選べるとしたら・・・
もしも、小学校へ入ることが必須ではなく、その子に合うスタイルで学ぶことが当たり前の社会に私たちが生きているとしたら・・・
そして本当に『みんな違ってみんないい』社会だとしたら・・・(決められた範囲での【個性】だけが認められるのではなく。)
もしもそんな社会に生きているとしたら、私たち親は、子どもの発達具合や行動が他の子と違うことなんかに、そこまで焦りや不安を感じるのかな?と。
(その子の特性によっては特別なケアが必要な場合はもちろんあって、その必要性を否定する訳ではありません。)
実際にいま、私たちが生きている社会はそうなってはいませんが、まずは、当たり前にある前提を一度外してみる。
そうして本当に他に選択肢はないのかを考えてみる。
(その時に出来ない理由を探すのではなくて、できなそうなことでも【本当にどうしても】できないのか?を考えてみる。)
実際にやるかやらないかは別として、そうやってひとつひとつの動かせないと思い込んでいる前提を、どうにかして外せる方法はないか考えてみると、(どうにもならないこともあるけれど、)どうにかなることも結構あると気が付けたりします。
大事なのは、これが自分の中『縛り』になっているんだな。と気が付くことです。
気が付かないと手放すことができないからです。
縛りを外したときに、本当は自分が一番願っていることが見えてきました。
そこから、現実的にすぐにできること、できないこと、すぐは出来ないけど、数年後にはできそうなことを考えてみると、すぐにできなくても本当にどうしても必要でやりたいことなら時間がかかってもできることはある、将来は固定されていないと気が付くことができます。
未来はわからないからこそ、今をちゃんと大事にする
そして将来のことを考えるのも大事だけれど、そればかりにとらわれていて『いま』を大事にできていない、ということもわかりました。
子どもと一緒にいられるかけがえのない時間を、急かしたり怒ったりすることばかりに使っていたことも。
将来への不安や『ふつう』から外れることに対する焦り、自分の子育てが悪かったのでは?という自分を責める気持ち等にとらわれないで、その時々に自分たちにとって一番いいやり方を選んでいくためには、
・必要な情報を知ること
・自分が一番大切にしたいことをしっかりこころの中に持つこと
・自分が何に縛られているのか、表面に現れている気持ちの奥にあるものと向き合う
どんどん世の中が変わっていって、人間がする仕事も10年後20年後、きっと今とは全く違います。
どうなるか知っている人はほとんどいないから、誰かに聞いても、保証してくれる人なんていない。
自分たちの判断が正しかどうかなんて、ずっと後にならないとわからない。
(一生わからないかもしれない。)
それならば、せめて『いま』の気持ちにちゃんと向き合って、あとで振り返ったとき『あの時の自分としてはベストな選択をしたんだ』と思えるようにしたい、と私は思うんです。