生きづらいお母さんの私が思う、親としての自信よりも大切なもの
こんにちは、ヒロタです。
誰にとってもそうかもしれないけれど、生きづらさを抱えながら生きてきた人の中には『親になる』ことに対して大きな怖れを抱いている人がいるんじゃないかと思います。
特に自分の親との関係に問題があると自覚していると、同じことを我が子との間に繰り返したくない!という思いが強い。
いい親でありたい!という気持ちが強すぎて実際に親になった自分に自信が持てない。
私なんかが親で本当に良かったのかな?と思ってしまう、、、
ほかならぬ私自身が、つい最近までそんな自信のなさの塊でした。
振り返ってみると、自信がないからこそちゃんとしなくちゃ!と思って気を張っていました。
自分と同じ想いを子どもにさせたくない!と意識しすぎた結果、『親としてのあるべき姿』を求めすぎて、私も苦しくなっていたし、結果的に子供も苦しめていました。
息子が5歳になった今でも、親としての自分に自信はありません。でも、それでも大丈夫、と思える自分がいます。
今では「これでいいのかな?」と揺れたり問い続けたりしている状態を、肯定的に捉えられるようになりました。
今日の記事では、
・自信なんてなくてもいいよ
・自信はなくていいけれど、これを大切にしたい!という根っこの部分をわかっておくといいよ
という話をします。
自信がある強さと危うさ
自信が欲しいと多くの人が思うのは、自信がある状態は『強い』からだと思います。
迷いがなくて、心が辛くなさそうだから。
『自信がある』=『困難にぶつかっても乗り越えられる、と自分を信じている状態』なのであればそれはいいのですが、もしも『自分のやり方・考え方が正しいと信じている状態』だったとしたら、私はそれにはちょっと危うさを感じます。
そういう私自身、ずっと『正しい』やりかた・考え方にとらわれてきました。
でも、自分の子どもと一緒にいればいるほど、『正しい方法なんてない』という思いが強まりました。
子どもの数だけ個性があるし、その時々で気持ちが違うから反応だって違う。それは大人も子どもも同じです。
だから常に試行錯誤の繰り返し。
こうすれば大丈夫!な、やり方のマニュアルなんて出来ないんです。
どんな人間関係でもそうであるように。
大変でもいちいち迷いながら揺れながら、目の前の子どもと接していくことの方が自然じゃないかな、と感じるのです。
少し前に、ドキュメンタリー映画「みんなの学校」の舞台になった大空小学校の初代校長、木村泰子先生の講演に行ってきました。
現在は全国各地で講演活動をされている木村先生の色々なお話しの中で、特に心に残ったことがあります。
『もし自分が正しいと思うようになったら、この活動はやめます。いつもこれでいいのか?と自分に問いかけている』と。
親としての自信なんていらないんじゃないか?って私は最近思います。
自信がない自分を否定しなくていい、と。
迷いながら一生懸命考えるからこそ、気づけることもある。
ただそうは言っても、日々色んなことが次々と起こる中で、迷った時に立ち返れる『自分の軸』はあったほうがいい。
私が、『自信なんてなくていい、迷いながら、揺れながら、ひとつひとつに向き合っていったらいい』と思えるようになったのも、自分の中で親の仕事はこれだ、という軸が出来たからでもあります。
軸はあっても、それを実践に移す毎日の行動には迷いや揺れがでます。
それでも、自分が大事にしていること・自分がするべきことは何なのかがいまはわかったから、それに照らし合わせて自分の行動を決めることができるようになりました。
これはわたしの【こころの灯台】のような存在です。
親の仕事は何か?
親の仕事、親として絶対これだけはやりたいことが何か考えてみると、人によって色んな答えが浮かぶと思います。
きちんとしつけること
社会のルールを教えること
子どもの衣食住を満たすこと
子どもを教育すること
愛情を持って子どもに接すること
etc…
現時点での私の答えは、
親の仕事は『子どもを愛すること』と『子どもの命と心を守ること』
子どもを愛すること
『愛する』については、『オヤトコ発信所』のよっぴーさんの講座で学んで、すごく腑に落ちるものがありました。
(→2022.8.31をもってこちらの講座のDVD販売は終了されました。)
また、2019年1月から構築メンバーとして参加している『HSC親子の安心基地』での、勉強会や日々のメンバー同士のやりとりも、自分の内面の奥深いところを掘り下げていく時間になっていて、たくさんのことを考えました。
『愛する』って、相手を大事に想って愛情を持って接していたら、『愛する』が出来ていると思ってしまいがちだけれど、それはちょっと違う、ということ。
親だから子どものことが『当然、心配』だと思っていたら、それはもしかしたら愛とは違う感情のしわざなんじゃないか?ということ。
よっぴーさんの講座では『愛する』の具体的な行動も話してくれています。
そのひとつひとつ、すべてが必要ということもわかった上で、『愛する』について、いまの私と息子との間で行動に移すのにはどうしたらいいのか?私はその後もずっと考えていました。
そして偶然その時に読んでいた本の中で、一つの答えにいきついたので、3月にnoteに記事『本当に子どもを愛せてる?いま必要な『愛する』を教えてくれた言葉』を書きました。
私が、「今の自分に足りないものは、これだ!」とハッとしたのはこの文章です。
忘れてしまわないように、書いてトイレに貼りました↓
愛とは何でしょう?いきなりの質問で驚かれたかも知れませんが、精神分析では、愛とは相手のために、相手本位に時間を与えることにあると考えます(T.ブラトエー)。(中略)そして、子どもが成長する上でも、こういう「徹底的に自分本位の時間」を、親が共有してくれる体験が必要なのです。
『肝心なときにいつも失敗する人たち/杉田峰康著/PHP研究所出版 P194より引用』
私は口語版の精神分析と言われている「交流分析」を学んでいるのですが、その交流分析の日本における第一人者、杉田峰康先生の本の中にあった一文です。
いま、息子は幼稚園を休園していて、私たちは基本、一日中一緒にいます。
でもこの本を読んで『子ども本位の時間をどれくらい過ごしている?』と自分に問いかけたら、全力で子どもと向き合っている時間はすごく少ないと気が付いたのです。
そしてそれは、息子が『ママと一緒に、家に居たい』と言っている理由とも重なる気がしました。
息子本位で過ごした時間がきっと息子にとって必要充分ではないのだと。
そもそも、私は息子と二人きりで過ごす時間に限界を感じて、2歳で息子を保育園に入れました。
当時、保育園入園激戦区に住んでいて、保活は本当に大変でした。
それでも何としてでも、とにかく預けて働こうと思ったのは、育児が辛かったからです。
育児が辛かったのは、息子が寝ない赤ちゃんだったことや、周囲に心を許して話せる相手がいなかったことも一つの理由でしたが、一番大きかったのは冒頭でも書いたように、「あるべき親の姿」にとらわれ過ぎていたからだったと思います。
しかも、いま考えてみると、私が目指していた「あるべき姿」は全然見当はずれでした。
私は、「これを一緒にやりたい!」と子どもが望むことをちゃんと聞かずに、一日を「ちゃんと、まわす」ことにばかり気を取られていたことに、改めてハッとしたのです。
だから、私はいま、毎日、どれくらい子ども本位の時間を過ごせているか?問いかけながら毎日を送っています。
いまこの記事を読んでくれているあなたは、もしかしたら、親としての自信もないし、上手く子どもを愛せないし、育児が辛いと感じているかもしれません。
そうだとしたら、「徹底的に子ども本位の時間」なんて言われても、苦しくなるかもしれません。
結局、親として子どもを愛するって、自己犠牲なの?と。
私も以前はそう感じていました。
そして、自分のやりたいことをやりたい気持ちが強い自分は親としてダメだ、と感じていました。
でも今はそんな風には思いません。
元々、子どもと遊ぶのも苦手で育児に行き詰っていた私の気持ちが変化したのは、自分が囚われていた「こうあるべき」を手放したからです。
「べき」を手放して、小手先のテクニック的なこと(どうやって子どもに言うことを聞かせようなど。)ではなくて、本質的なこと、本当に大切にしたいことを考えて、心の不安に流されない為に必要だと感じた学びを重ねていきました。
その結果、「幼稚園に行きたくない」という息子の想いを受け入れて、休園し一緒に毎日過ごすという選択も出来るようになりました。
いまはどんな時間にしたいのか?
今日はどんな時間を過ごしたのか?
子どもを愛せたのか?
それを自分でわかっていることが大事だと思うのです。
出来ない時は出来ないと言ってもいいのです。
『もう無理!』と心で叫びながら、どんなに取り繕っても子ども本位の時間なんて持てません。
今日出来なかったから明日はその時間を作ろう、でもいい。
自分がどうしたいのか?を心に持っていて、それが出来ているか振り返ってみる。
自分の想い・出来たこと・出来なかったこと、それらについて良い悪いのジャッジはしなくていいんです。
良かったとかダメだとかではなく、自分がどうしたかったのか?どう感じたのか?それはどうしてか?
心の声に素直に向き合い続けていけば、必ず『愛する』に必要なことは見えてくるはすです。
子どもの命と心を守ること
もう一つ、私が考える親の仕事は『子どもの命と心を守ること』
『命を守る』というと交通事故に合わないように、などが思い浮かびそうですが、私が一番に考えるのは『自分の命を大事なものだと子どもが感じられるような環境を作ること』
これも結局は『愛する』に繋がっています。
親が親本位の『愛』ではなくって、子ども本位の『愛する』ができていたら、わざわざ言葉で「命を大切に」なんて言わなくても、子どもは自然と自分の命と心を守ることができるようになっていくんじゃないか?と考えています。
子育ては自分が育ち直しするチャンス
自己犠牲じゃない『愛する』が出来るためには、お母さん自身が自分を大切にできている必要があります。
ただ、私自身を振り返っても感じることは、生きづらさを抱えたまま親になった人は自分を大切に思えていない。
だからこそ、自分なんかが親でいいのかな?と感じがちです。
でも、子育てをしながら自分に向き合っていくプロセスは、自分の生きづらさを解消していく大きなチャンスでもあると私は今、子どもとの暮らしの中で感じています。
自信なんてなくても、『愛する』を毎日実践していこう、と過ごす。(それはきっと自分がどんな風に愛して欲しかったか?を考えることでもあります。)
その積み重ねがいつか『自信』を生むのだと思っています。
【2019.6 追記】
ひといちばい敏感な子・HSC子育てのための講習会を、秋田で随時開催しています。
この記事で書いた、自分軸【こころの灯台】を作って不安を手放すことをお伝えしています。
講習会はこんな内容です↓
↓
思う所あり、2020年以降HSCの講座や関連する発信は行っていません。
敏感な人 VS そうでない人、障がいがある人・健常な人、という二極化ではなく、『どんな人も、従来考えられているよりずっと、それぞれに脳や神経由来の多様性を持っている。それを生かせる社会にしていこう。』という考え方であるニューロダイバーシティの考え方が今はしっくりきています。
関心ある方は、是非↓の書籍を読んでみてください。