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登園しぶりで休ませる時にある葛藤|罪悪案の手放し方

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長い鬱期→妊娠出産→育児がつらくて逃げ出したかった時期を経て、今は小1の息子(ホームスクール中・ASD診断受けてます)との毎日を楽しんでいるHSPママ。

心理学や、発達・HSC の子ども達について色々学んでます。 凸凹親子の居場所・出会える場所を作りたい。

こんにちは、ヒロタです。

登園しぶりがひどくて休ませていいのか迷う時、親の心にはいろんな感情が入り乱れていますよね。

休ませたら休み癖がつくんじゃないか?
余計になじみにくくなるんじゃないか?
ようやく入園で少し一人の時間が持てると思ったのに…

こんな不安や想いは多くのお母さんが抱くと思います。

 

一時的な登園しぶりなら、やがて解消して楽しく通い始めるのかもしれません。

でも、気質や発達の凸凹などで、集団での生活が難しい(もう少し待つ必要がある)場合、(←我が家の場合です。)長期で休もうとする時に襲ってくるのが、先生や心配してくれるお友達に対する『罪悪感』だったりします。

 

息子は、年中の秋から登園しぶりがひどくて、長期間休み、年長に上がるタイミングで一時退園。

その後、家で私と過ごしていましたが、年長の秋にまた園に戻り、休み休みながらも卒園したという色々あった幼稚園生活でした。

その当時、別のブログに書いていた罪悪感の手放し方についての記事を、今日は転載します。

その時は、このブログには書きにくかったことですが、(知っている人も読むかもしれないから)当時の気持ちをそのまま残したいので、一年ちかく前の文章をそのままに。

 

むりやり園に通わせることが子どもの為になると思えなくて、休ませたい(やめたい)けど、やっぱり先生にも悪い気がして思いきれない…

 

あなたがもしもそんな想いでいるなら、読んでみてください。

 

子育てで、抱えるモヤモヤとした気持ちに蓋をせずいちいち向き合っていくと、今まで囚われていたしがらみや生きづらさを手放すことが出来ます。

だから、一見トラブル!と思う出来事は、むしろチャンス。

私はそう思っています。

(以下、2019年6月に書いた記事。)


 

年長の息子は、年中後半から登園しぶり、年長春から正式に休園しています。

 

他の子と同じように出来ない焦りとか、小学校にも通えなかったらどうしよう?という不安などからは、早くに解放された私でしたが、最後まで心にあったのは「罪悪感」

 

(登園しぶりが本格化する前から、小学校にこの子は適応して行けるだろうか?と思っていた。それから不登校について調べていくうちに、知らなかった色んな選択肢を知って、私のこころはどんどん自由になった。それについては、また記事を書きます。)

 

先生を悲しませて申し訳ないとか…

クラスのお友だちを心配させて心が痛むとか…

「どうして○○君だけ行かなくていいの?自分も休みたい」というお友だちがいたら、そのお母さんを辛くさせてしまうんじゃないか?とか…

 

ここを乗り越えるのが、一番大変だった。

今は、こんな気持ちを大体手放すことが出来て楽になったので、そのことについて今日は書いてみます。

 

他人の気持ちをわたしが解決してあげなくていい

罪悪感を手放した今のわたしが思うのは、他人を喜ばせるために、自分を犠牲にする必要ないし、しちゃダメだ、ってこと。

 

そして、「みんなそれぞれ、自分の感情の面倒は自分でみる」ということ。

 

他人の気持ちは、その人しかわからない。

そして、他人が全く嫌な気持ちにならないように、してあげることなんて誰にも出来ない。

 

たとえば不登校や不登園で、たしかに先生は悲しむかもしれない。仕事が増えて迷惑、と思う先生も(状況によっては)いるかもしれない。

 

心優しい子は、お休みしていることを心配してくれたり、会って一緒に遊びたいと思ってくれているかもしれない。

 

それはそれで、とってもありがたいことだけれど、だからと言って、自分が行きたくない気持ちを犠牲にして行く必要はないし、「悪い」と思う必要はない。

 

親がそう思っていたら、子どもにもその気持ちが伝わる。

実際に言葉に出して言ってしまったこともある。

 

「○○ちゃん、待っててくれてるって」と。

 

私自身いまだに、お友だちのお母さんから、「うちの子待ってるよ」と聞くと、ちょっと心が痛む。

でも、本当に好きな友だちなら、園や学校に行かなくても会う機会は作れる。

 

それからちょっと厳しいかもしれないけれど、まだ小さいお友だちにも、園や学校に行くことが全てではなくて違う居場所が合っている子もいるんだ、と知ってもらいたい気持ちもある。

 

あえて、誰かを嫌な気持ちにさせるように狙って行動するのは、もちろんよくない。

 

でも、誰かが嫌な気持ちになるかもしれないことでも、自分の想いを大事にして行動するのは、大切。

勇気がいるかもしれないけど、大切だ。

「罪悪感」の根っこにあるのは何?

登園しぶり・不登校に関わらず、どんなシチュエーションでも『罪悪感』は、やっかいで、この根っこはなんだろうと考えてみた。

 

「○○さんに悪い」「迷惑をかける」

そう言って、時には自分の命さえ犠牲にしてしまう人すらいる。

 

わたしも、自分たち親子が自分たちらしい選択をしただけなのに、周囲の人に「迷惑をかけているんじゃないか?」って感じてしまっていた。

 

幼稚園に行かないことは、犯罪でも何でもない。

それなのに、どうしてこんな風に『悪い』とか『迷惑』だと考えてしまうんだろう?

 

(ちなみに小中学校は『義務教育』と呼んでいるので、行かないといけないと思い込んでいるひとは多いと思うけれど、子どもに『学校に行く義務』はない。子どもには『教育を受ける権利』がある。親には子どもに『普通教育を受けさせる義務』があるけれど、それは『小中学校に通わせる義務』とは違う。)

 

その理由は、たいていのひとが小さい頃から「他人に迷惑をかけてはいけません」「周りの人の気持ちを考えなさい」などと言われて育っていることと深く関わっていると思う。

 

特にわたしたちの国、日本では、自分を犠牲にして周囲の人に尽くす行動が、いいこと=美徳として考えられている。(今は変わりつつあるとは思うけれど…)

 

さらに、和を乱すのは「良くない」と考えられがちなので、みんなと違う行動をとった結果、周りに嫌な気持ちになる人がいると、すごく非難される。

 

そうやって、本当は嫌なこと、辛いことを我慢してでも、周りの人の気持ちを優先するべき時がある、と刷り込まれている。

 

これが罪悪感の根っこにある。

でも本当にそうする「べき」なの?

長い間、わたしは「他人を喜ばせるべきだ」と思って生きてきた。

 

自分の行動で他人が悲しむ、困るとしたら、どんなに自分が犠牲になってもその人の気持ちを優先しないといけないと感じてきた。

 

でも、その考え方のせいで、どれだけわたしの人生がこじれたかしれない。

 

いくら「他人が喜ぶ」ことに自分の存在意義を見出そうとしても、本当に自分が望んでいる気持ちがなくなる訳ではなくって、だから、いつも「他人のために」自分で選んだ自分の環境が辛くて、鬱々としていた。

 

わたしが勉強している心理学(交流分析)では、度が過ぎると生きづらくなる感情の一つに「他人を喜ばせろ!」を挙げている。

(他には「完璧であれ」「急げ」など…)

みんな自分の気持ちを大事にしていい!

本当は、みんなまず自分自身を大事にするべきで、そのあと、他人のことを考えたらいい。

 

というよりも、自分自身を大事にしていなかったら、本当の意味で他人のことなんか考えられない。

 

自分は我慢しているのに…と思うから、自由にやっている人をねたんで悪口を言いたくなる。

そうでなくても、無意識のうちに、他の人も我慢するのが当然だ、と思ってしまう。

 

自分が我慢して周囲に合わせていたら、我が子にも周囲に合わせさせて我慢させたくなる。

親が自分の気持ちよりも周りの気持ちを優先して行動していたら、子どもにもそれが刷り込まれる。

 

そして生きづらさが連鎖していく。

 

周りの人のために、と言いながら、結局は誰のためにもなっていない。

 

自分を大事にすることは、周りの人を大事にしないことじゃない。

むしろ反対だ。

 

自分の気持ちを大事に出来て、だから、人の気持ちも大事に出来る人ばかりの世の中になった時、すべての人が生きやすくなると思う。

 

そうなる第一歩は、わたしが、あなたが、自分のこころと頭で考えて、自分を大事にする行動をしていくこと。

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