将来への不安で子育てがつらい?不安を手放す方法はひとつしかない
こんばんは、ヒロタです。
さっき、ふとこんな気持ちが湧いてきてツイートしました。
自分の歩く先に道があれば歩いてもいい、なかったら作ればいい
そんな風に生きていきたいなぁ
絶対に我が道を行くんだ!と気張ることもなく、
出来てる道がなくてもくじけることなく。
自分の歩く先に道があれば歩いてもいい、なかったら作ればいい
そんな風に生きていきたいなぁ
絶対に我が道を行くんだ!と気張ることもなく、
出来てる道がなくてもくじけることなく。
— ヒロタ@子育てが辛い母→育児が楽しくなった人 (@hiroeaaa1976) 2019年5月28日
これは私自身のこれからの生き方を頭に描いてつぶやいたのですが、ちょっと考えてみたら、これは子どもに対してもこんな風に生きていってくれたらいいなぁ、と思うことでもありました。
私は、少し前までは子どもの将来が心配で、親としての責任みたいなものに押しつぶされそうな母親だったのですが、今はその心の重しを手放して、歩き始めたところです。
今の気持ちにたどり着くまでに思ったことを振り返って書いてみます。
かつての私みたいに、不安と責任感で育児がつらいお母さんに届きますように。
将来への不安を手放す方法はたったひとつしかない
上のツイートをする前に考えていたことがありました。
それは、「ここさえ歩いていたら楽チンで安心だよという道がもしもあったとして、今まさにその上にいるとしても、何としてでもそこを歩き続けよう!」と思った瞬間から、怖れと不安が手放せなくなるだろう、ということ。
育児で「子どもが将来苦労しないように育てなければ」という思いを持っていると、『安心な道』(のように見える道。実際そんなものなんてないのに。でも多数の人が歩いているように見える道が安心だと思ってしまう)から、我が子が外れそうになるのがすごく不安です。
だから、外れないように外れないようにと、必死になってしまう。
でも、外れないことを目指している内は、今現在がどんなに上手くいっていたとしてもきっと、心の奥底の不安を手放すことは出来ないんですよね。
結局、その不安を手放すためには、『安心そうに見える道を歩くことに安心を見出すのをやめること』しかない。
かと言って、野山をかき分けて道なき道を歩くべし!と肩ひじを張った生き方を良しとするのでもなく。
無理に奇をてらって、人と違うことをしていきたい訳でもありません。
(そもそも頑張って個性を出そうとしなくても、自然にしていたら誰だってみんな多かれ少なかれ違う。それが自然。)
道ありきではなく、自分ありきで進んでいって、ちょうどよい道があればその上を歩くし、なければ作ろう、という気持ちでいたら、外れる不安もなければ、何かに合わせなければと思う必要もない。
誰かと一緒に歩くこともあれば、一人で歩くこともあっていい。
それが自分軸で生きることにも繋がるのだと思っています。
そんな風に自分に対しても子どもに対しても構えられるようになってきたら、それまで『これが親の役目だ』と思い込んできたことが、実は全然子どものためではなく、自分のためだったと気づきました。
育児がつらい理由はたいていの場合、子どもとは関係ない
これは、かつての自分を振り返ってのことなのですが、育児がつらいと感じたり、不安を感じる時、たいていの場合、本当の原因は子どもではありませんでした。
理想とする母親になれない自分へのいら立ちだったり、夫への不満だったりが、子どものちょっとした行動に触発されてイライラが爆発していたんです。
そして子どもの将来への不安、きちんと育てなければ、という思いの根っこには、「そうでないと『私が』ダメな人間だと思われてしまう!」という不安がありました。
「ダメな人だと思われたくない」という気持ちは私の課題であって、息子の課題ではありません。
当たり前のことだけど、子どもの人生は子どものものだし、私の課題は私自身が解決するべきことです。
もしも子どもの望ましい行動(大人にとっての)によって、私が「素晴らしいお母さん」と評価されたところで、私自身の課題は解決されないのです。
解決されていないのに、されたような気になって満足してしまうと自分の持っている問題の本質がうやむやになってしまいます。
でも、幸いにも息子は決していわゆる「育てやすい」タイプの子どもではありませんでした。
「幸いにも」と書いたのは、育児が難しかったからこそ、多くのことを考えたし、学んだから。
そして、素直に言うことを聞いてくれるような子どもだったとしたら、私は自分の中の不安や『こうあるべき』をどんどん子どもに押し付けて、私自身と全く同じように生きづらい人生を息子に送らせていたと思うからです。
たいていの人と同じように、私にも理想がありましたが、自分の体力気力能力がついていかないことがたくさんありました。
そしてそんな自分が許せなかった。これも等身大の自分にOKを出せない私自身の課題でした。
でも、誰でも自分が出来ることしか出来ないし、出来ることを精一杯やっていたら、自分を「よくやっている!」と認めていい。
私が変わり始めたのは、意識的に自分をいたわるようにしたところからでした。
自分をいたわる、というのは、『自分の頑張りを自分で認めて』、『いまの自分にOKを出す』ということ。
そのきっかけになった本についてのレビュー記事も当時書きました。
幸せな時間の積み重ねは生きる力になる
子どもの人生は子どものものだから、親がレールを敷いてあげることなんて出来ない。敷いてあげる必要もない。
親に出来ることって、いかに心満たされる時間を一緒に過ごせるかだと思います。
『将来のために今つらい思いも必要』という考え方がありますが、本当に必要な『つらい思い』ってどれくらいあるんだろう?
具体的に成し遂げたいことがあって、そのために他のことを放り投げてでも必死で頑張ることが必要な時はあるでしょう。
でも、何のためにやってるんだかわからないけれど辛い思いをして頑張ってるからそのうちそれが報われる時が来る、と盲目的にやっていることがあるなら、ちょっと立ち止まって考えてみた方がいい。
私はいま子どもと過ごす時間が楽しくて幸せを感じられるし、だからこそ、この先にも希望を感じています。
この時間が息子の中にも積み重なっていって、生きていく力になって、その力が彼なりの道を歩いていく原動力になったとしたら、それは親として幸せだなぁ、と思うのです。